1998年に東京都内の大学医学部を卒業して以来、長らく救命医として市立病院で勤務をしていました。
実家では父親と兄が個人クリニックを経営しており、私は必然的に医師になるようになっていたわけです。
しかし、救命医という職務は非常にハードな仕事でありながら、月給が安いものになります。
研修医時代では毎月15万円しか手に入れることができず、学会の寄り合いや勉強会ではこちらが費用を出さないといけません。
命を救う医者が報酬金額に期待を持ってはいけないとはいえ、15万円程度で生活をするのは困難を極めていました。
30歳にもなってまだ実家から仕送りをされているというのも情けなく、なんども医者をやめて別の仕事に就こうと思ったかわかりません。
同僚にこの悩みを打ち明けたとき、ある分野の医師になれば高額な報酬を手に入れられると教わりました。
そこでここからは、私が夢に見ていた年収3000万を実現できるまでの道のりを、ご紹介していきましょう。
まずどのような分野の医師になったのかというと、それは美容外科です。
日本では1990年代頃から、都内などで多く誕生してきたクリニックで、二重まぶたやシミ・シワを除去するための医療機関というわけです。
この美容外科医師求人に応募をして、採用をされました。
今後高い需要が見込めると当時は思われており、都内ではたくさんの専門医の採用を実施していたわけです。